Chienomi

SDカードで音質が変わる?

ハードウェア

Sonyが「高音質SDカード」なる「オカルトアイテム」をリリースして話題となっている。

これが話題となっているのは、Sonyがオカルトの領域に踏み出したこと、データがあまりにも怪しげなことなどからで、極めて「批判的」もしくは「嘲笑的」な論調が大勢を占める。

私の意見だが、これはまずありえない。

なぜか。

通常、オーディオストリームなどと言いつつ、大抵の場合オーディオデータの再生はatomicである。

つまり、SDカードに楽曲データを保存しておく。そしてそれをプレイヤーソフトウェアで開く。

再生前にSDカードを抜く

そしてプレイヤーで再生すれば、普通に再生できる。 この場合、SDカードは一体どの部分に干渉しているというのだろう?

楽曲データはSDカードから再生されているわけではなく、メモリーから再生されている。 バッファ云々の話ではない。

もし、データを取り扱う段階でSDカードの有無が関係なくとも電気的に効果がある、という話であれば、それはもう、部品を取り付けるとか取り外すとか、あるいはD/A装置に何かを接触させて設置するとかそっちのほうが何百倍も影響が大きいだろう。

影響がある可能性は否定できないが、影響を及ぼしうる範囲が極端に小さく、意味がないのだ。

仮に部品構成の自由度が低いPDAPに限定した話にしたとしても、やはりPDAPをどこにいれて、何が接触しているかのほうがずっと大きいだろうし、もっと言えばヘッドフォンケーブルがどのように取り回されているか、何に触れているか(特にシールドでないイヤフォンの場合、それは本当に影響が大きい)のほうがはるかに重大で、やはり意味がない。

さらに言えば、湿気や気温のほうがはるかに影響しうるため、それよりも小さい影響しか及ぼせないものが「音質改善」になるだろうか。

ネットワークケーブルと同じような話で、もちろんプロトコル次第だが、普通は再生する前にメモリーに全部ストアするため、ネットワークケーブルの品質は全く関係ない

USB1.1ではリアルタイム再生なんて到底できないが、USB1.1で接続したコンピュータにデータを置いても(もちろん単純なUSB接続ではない)普通に再生できるのだから。

これと同じことで、SDカードをUSB1.1接続のカードリーダーで読んだとしても普通に再生できる。 データやりとりにおける部分というのは無意味だ。 かといって電気特性の話をするのであれば、もっと大きな影響を与える要素が多すぎて意味がない。

というわけで、意味がない、というのが結論だ。 もちろん、世の中理屈通りにいかないので、絶対とは言えないのだが。