はるか流、「戦い方」 書き直しバージョン

はじめに

「後進に、あるいは若い人に私が与えられるものは」というタイトルで、Chienomiで同じような内容を書いたのだけれど、 色んな話がごっちゃになってしまい、結果よくわからない記事になってしまったので、もっとちゃんとまとめたものとしてこちらに書き直そうと思う。

今回は、主には私の話をするが、これは私の話を知ってほしいわけではなく、 私の研究を、たどった道を参考に、「自分ならどうする」と考えて欲しいのである。

私の経緯は、基本的には戦略的に行動したので、最短ではないが「おおよそ最善」をたどった、ということは言える。 しかし、「良い」と思ったことが結果的にはまずかった、ということもまた、ある。

しかしひたすらに追求しつづけたので、検証されている度合いは高い。

また、「何を主題としているか」ということについてだが、これは「人生をサヴァイブする」ということである。 前提として、人生を生き抜くにあたって重大なディスアドバンテージがあるか、もしくはより高みを目指したいといった理由で、「自分という生き方」を必要としているとする。 だからこそ戦う必要がある、という話である。少なくとも、擬態して人に紛れて生きていければそれでいいのだという人は対象ではないし、その考え方であるのならば自分らしさや強みがないことに文句を言うのは筋違いというものである。

この記事は従来の(旧Reasonsetに存在した)私に関する記事、私のスキルに関する記事、思想や信念に関する記事のいくつかをグローバルに置き換える。

また、この記事はup to dateである。 なぜならば、この記事に現状で不完全性を感じているからだ。 変更点は(この記事ではなく)CHANGELOGを参照のこと。

スキル視点, 時系列

幼少期

幼少期の私は文句なしに天才だったと言ってよいと思う。

プログラミングを始めたのは3歳、ひらがなを覚えたのは5歳、5桁までの足し算引き算を覚えたのは3歳、2桁までの掛け算を覚えたのが5歳。 さらにいえば、天文のことや、数量詞のことや、医療のことなど知識自体もさらに幅広く持っていた。

これらに関して、「誰にも教わっていない」ということが大きい。あくまで本を読み、自分で触って覚えただけだ。

頭の意味ではかなり能力が高いが、一方で体のほうは脆弱そのものであった。 とにかく体が弱く、月イチペースで38℃以上の発熱、しかも一度発熱すれば1ヶ月近く続くため、大半は寝込んでいた。 少しマシになれば無理やりにでも幼稚園に行かされていたが、非常に苦痛だった。

さらに、当時は自覚していないいくつかの問題があった。

まず、上半身の筋力がないことだ。下半身の筋力は非常に優れているにもかかわらず、上半身に筋力がないため、「座る」ということができない。上体を支えていられないのだ。 幼児のときを含めてこれを理由とした暴力もかなり受けた。

記憶の問題は深刻だった、私にとっては当たり前だったが、とにかく記憶を保持しておく能力がなかった。 物事を覚えることに関しては支障がないので表面的に問題視されることはなかったが、人の名前も顔も、3日も触れなければ忘れるし、用事があってもそれを果たすまで覚えていることが非常に難しい。 これは習得できることとできないことを完全に隔てていた。

また、身体的に自律性が低いことはかなりの問題で、体の動かし方がわからないのでとにかくよく転ぶ。それも、「足が間に合わない」「歩き出せない」といった理由で転ぶ。「体の使い方を頭で知っているかどうか」によって身体的に可能かどうかを大きく分けていた。

さらに、聴覚に言語識別の指向性が乏しいことも当時からで、「話をきいていない」と指摘されることが多かったが、これは聞いていないわけではなかった。 一方、聴覚そのものの鋭敏さもこの当時はより秀でており、64kHz(私が持っていたもので出せる上限の音)を余裕で聴き分けていた。

普段なにをしているかといえば、とにかく空想・妄想している子供であり、自作の物語を頭の中で楽しんでいた。

小学生

当時は私は身体的には現在よりもより女性寄りだったが、スキル的には女性要素に乏しく、どちらかといえば繊細さを欠くほうだった。

基本的に「天才である」というのが先行する表出だったが、実際にはこの時点でかなり明確な傾向が出ていた。

私に備わっているのは優れた直感である。文字通りの天才型であり、物事に触れたときには理解しているので、理解のための努力は基本的に必要ない。どうしてわかるのかは、自分でもわからない。

これは普段はほとんど問題はないが、「できないとき」はとても問題になる。努力によってできるようになる過程が存在しないので、できないもの、理解できないものは基本的にどこまで行っても理解できない。

直感が武器であるというのは、人の思考を先読みできるということでもあり、人の行動や思考を表面的にはノーヒントで先回りしていくことに対してはとても不気味がられたり、排斥されたりすることがおおかった。要は天然メンタリストである。

ほぼ直感と理解力によって片付けられる性質であったが、実際には周囲に「子供らしいこと」を強要されたため、一切本心を見せないように振る舞った。 直感で先回りできるので、望む子供を演じたのだが、疑われることはなかったし、結果的にこれによって演技力が備わったのと、相手の心理に対する論理的洞察力が備わり始めた。

小4のときのイラストレーションが初仕事だが、私は絵心はないほうだった。家系的には美術系に優れている人間が多いが、私はどちらかといえば「絵は下手」。 ただ、この仕事はロゴデザインを中心としたレタリングだから、デザインセンスは悪くなかったことと、「文字」に対する関心が高かったことが大きい。小4のときには、ひと目みた人の筆跡を模倣するというスキルを持っていたし、ここらへんの突出した能力に由来する。

小5のプログラミングももちろんだけれど、小6のゴーストライティングに関しても器用に書き分けられることが重宝したということで、あまり地に足のついたものではなかった。

身体的には非常に弱いということは変わらないが、小5のときに50m走がある日を境に14秒から9秒へと躍進するなど、「体の使い方を知っているか」がポイントであることを知った。

また、「反復が苦手で、意欲も削られる上に成果は得られないどころかマイナスである」ということも発覚したが、反復は強制であった。

中学生

スキル的には全体的に下降してしまい、訓練を積んだスキルだけが向上しているという先鋭化の方向に進んだ。

天才型であることを利用して論理性よりも感性に振ったのだが、その能力そのものが下降傾向であり、全体的にパッとしないという状態に陥ってしまった。

身体能力的にはトレーニングの甲斐もあり、「運動は比較的得意」程度まで向上したものの、結局中2の時点で38℃の熱が引かなくなってしまったため「能力強化によってあまり報われない」という問題となった。

就職を意識して先鋭化を選択した音楽系能力だが、実は私の感覚においては絵画同様、「むしろ才能がない」と思い悩むことになった。 努力が報われない、やってもやっても変わらない、理解している状態に到達しない、ということで、その選択とは裏腹に自信はなかった。だが、それ以外で戦えると思うスキルも特になかったというのが実情だ。

能力の高さを見せたのは言語系。 国語に関しては漢字部分を除けば常に満点で、悩むこともなかったが、私は「こんなの当たり前すぎて問題として成立していないし、なぜ満点を取れない人がいるのだろう。日頃やっていることではないか」と思っていた。

ちなみに、英語も比較的得意。

学校における成績面で見れば、直感が通用しにくい理科系の点数は小6からダダ下がりであり、社会科はとにかく覚えられないため非常に悪かった。 だが、この頃には「理解する」という能力を獲得していたので、基本的に勉強したことはできるようになった。ただし、覚えなくてもよければ。

音楽に関しては作曲にスキルを振ることになったが、基本的には創造的であることを好み、また得意とするというところが大きかった。

音楽家になったのは、あくまでも、「稼ぐ必要があり、この歳で稼げる方法が他に思いつかなかったから」である。

演技系のこともはじめたが、これは私にとっては「日々生きることが演技」であったことと、「エレクトーンにおけるパフォーマンスが演技」であったことと関連しており、「演劇って私できるんじゃないかな」と考えたからだし、実際できた。

高校生

高校生のときの目標のひとつが社会性の獲得である。 私はそもそも社会性があまりにもなく、社会生活において無知だったため、積極的に暮らしや対人に関することを学習しようとした。

「人間の理解」は私にとって最重要目標であったため、私は様々な人物を演じつつ、人の思考、行動を観測、研究した。 スタート地点がここなので、一応臨床心理学も学んではあったのだけれど、実データ重視であった。この「実際の選択を記録する」という方法は、ERINAにつながる道である。

これに関しては一般的ではないスキルも関係している。 私が「状態を解釈せずに認識・保持していられる」ということである。 一般に人は認識する時点で解釈を挟んでおり、説明可能な状態にしている。これは、認識時点で実際に見たものを歪めてしまっており、心理術においてはこれを盲点として使う。見たものと違うものを見たと思い込ませるのである。

しかし私は、そこにあるものを自分が解釈していない状態でそのまま認識できる。これは、記録する上でなにかに寄せてしまうことがないという点で稀有である。 優劣よりも、「他の人には出せない結果が出せる」という点が大きい。

結果、人に対する、心理学や精神医学の常識にとらわれない詳細な理解、という後の私のベースになるスキルを獲得する。 これは単純なスキルというよりも、経験とデータであり、同じ知識をインプットさえできれば基本的には私である必要はない。 ただし、その行使には先入観や概念への誘引を回避するスキルが必要になる。

もうひとつ大きなことが「努力する」という概念を獲得することであった。 音楽のために努力を重ねたことと、免許取得のために努力を重ねたことがそれを支えた。

免許取得時は当初は「覚える」ことを意識したが、結局のところ記憶能力に問題がある私の場合、覚えることほどの悪手はなかった。 だから、結局は覚えることは諦め、「どのような理由で、どのような思考をたどって、この法規が作られたのか、また問題が作られたのか」という心理系で獲得したスキルを応用するという方法をとった。

音楽に関しては、とにかく努力し、覚え、理解し、実践するということを苦しみながら積み重ねることとなった。 独立後は思い込みで突っ走って失敗することが多く、割と深刻な失敗も多かった。 そして案の定、作曲に対してさしたる才能もなく苦労することとなるが、耳の良さと正確さ、分析力、判断力、そしてそれを説明することの上手さが非常に高く評価され、プロデュースやディレクションに回されることが多くなった。

緻密にとらえ正確に分析する、というのは人間の研究においても行っていることであり、この分析、予測などの精度の高さが武器であることが明らかになった。

また、非常に複雑な多くの心理モデルを獲得することによって「相手にとって適切な説明と選択」という能力ができたことが、「教えること」にとって非常に良いということも判明した。 結果的には、音楽で「教える仕事」が増えただけでなく、コンピュータ関係においてもちょくちょく仕事をもらうことにつながった。

18-24歳

目標としたのはサブスキルの獲得だったが、実はこの頃はうまくいかないトライを繰り返していた。

コンピュータ関係のスキル拡充は重要であった。 高校生のときは一応HTMLとCSSとJavaScriptとPerlはできる…程度で、最低限ウェブできる程度の能力しかなかった。 だが、3歳からプログラミングしていて、DOSのことはそれなりに理解していたし、プログラミングもまぁまぁできたという背景があり、少なくとも音楽よりは「才能がない」と絶望することがなかったということもあって有力視したのである。

このこともあり、Linuxをはじめ、サーバー関連を学び、プログラミングに関しても様々な勉強を積極的にした。 だが、学習効率は絶望的であった。1年経っても「何かが変わったようには思えない」などというレベルで、知識は蓄積しているが理解が進んでいない。 結局「理解は最初に理解できた量で固定される」という状況にあまり改善がないのである。理解できないと思ったら終わりだ。

コンピュータ系のスキルと並行してあると重宝されるというマネジメントやお金に関することも学んだのだが、「全く理解できない」という絶望を味わうことになる。 これは一般的な意味とはかけ離れており、文字通り、「何が書かれていたかも覚えていないし、何を言わんとするかも理解していないし、なんの話をしているのかもわからない」という意味である。 この頃になると、天才型であることは「触れたらそれは理解している」という強みよりも、「理解できないものは理解する方法がない」という問題のほうが強くなってくる。かなり深刻なレベルだ。

ここにきて明確に認識したのが、私に「積み上げる方法がない」ということである。 理解できないものを理解する方法がなく、記憶力の問題でとりあえず頭に入れておくということもできない。成果を出さなければゼロのまま、ということがありえるのだ。

バイクに関しては少し大きな事柄があった。 それは、非常に優れた才能である。 正直なところバイクの才能は、それ自体はそれほど有用なスキルではない。だが、「才能がある状態」を実感できるということは大きく、自身の向き不向きを感覚的に理解できるようになった。

また、結果的にはバイクのインストラクターもしたので、やはり「教えることは分野を限定せず有効である」ということも確認できた。

正直なところ、この時期は努力こそしているが姿勢としては逃げているという状態であった。 状況が苦しいのはわかっているが、それに対応する具体的な行動が取れずにいる。その無力が恥ずかしくもあったが、勝負できるカードはなく、大胆な変更もできなかった。

ただし、自身の分析という面では進捗した。

大きな問題は、身体的な弱さもあるが、そもそも生活を維持する能力がないことである。これは、「決まったことをする」ということができないのであり、定時に起きる、決まった時間になにかの行動をする、決まった行動を周期的に行う、反復する、変化を加えない、といったこと全般が「できない」。 「なんでできないんだ」と思うかもしれないが、文字通りできないのである。努力や意思によるところとはあまり関係がない。

また、人のいる場所に出ることで嘔吐や痙攣、失神などを繰り返していたが、これも条件を特定し、「生々しいもの全般を認識することでアレルギー症状を起こす」というものであると理解した。

これらのことから、「定常の行動を求められること、人に観測されたり、観測する状態を強いられることはできない(命に関わる)」ということが判明し、これは前提として認識した。 この事実は極めて重大なハンデである。

高熱などの身体症状は虐待による心理的なものである、ということも判明した。 それ以外にも様々な身体症状が出ていたが、病院で検査した限り異常値が出ず、原因不明となった。ただし、「赤血球が少なく、酸素効率が悪く、血中酸素濃度が低い」「血糖値が低く低血糖体質である」ということだけは明らかになった。

24-30歳

24歳は、やむを得ない事情もあったにせよ、重大な決断を行った。 それは、「自身を定義する、自身のあり方の変更」である。

もちろん、身体的なこともあり、私は普通には生きてはいけないのだが、「普通に生きられない理由」はそこに留まっているわけではない。 「確実に道を切り開く」という視点から阻害要因を排除する方向で考えたのだ。

ここで大きいのは、

ということである。

これらは性質的な問題であまり努力によるところではないのだが、長期的に見れば心がけによって変質しうる。

「問題を見据えて努力を継続し、目標達成する」というのがその手段であり、その目標は論理性の獲得とスキル強化である。 とかいうとそんなに難しく聞こえないかもしれないが、実のところこの訓練は常軌を逸したものである。極めて限定的な情報を与えられて、そこから何日も推測を続け、そこに全く書かれていない情報までたどり着く、ということだったり、言語仕様を知らないままでのペーパープログラミングだったり。

結果として、コンピュータ関連、言語関連のもとから苦戦していなかった分野は、この方向転換直後から能力はめざましく向上した。

こうしたアクションは、自身を追い求める中で理解した、自身の強みを活かすという背景もある。

私の強みは

であり、触れれば真剣にやると手抜かりもない。 そして真剣に努力し、人と比べれば成果は出ないが、いつまでも諦めないので長期的には成果になる。

結局、「ただひたすら努力できることが、私の才能」なのである。 そして、今までの私に欠けていたのは、私が努力しつづけることを信じることであった。

「いつか結実する、そう信じて努力しよう」という意識の転換こそがこの方向転換の本質であり、「乗るか反るかで同じところをぐるぐる」から「未来を信じて確実な蓄積」への転換した。かなりの部分で真逆に変化している。例えば、妥協なき理想主義から現実的な方向に転換したこともそうだ。

また、戦略的になったという点も大きい。従来、「こうするのがよかろう」という判断によって動いていたが、「成功させるには何をすれば良いか」という方向へと変わった。

これは論理的な方向への転換との関連性が高い。従来は「できるように感じないことはできないと判断する」だったからだ。だから、「できそうに思えることをする」という理屈になっていた。

しかし現実問題として、私のスキルは総じてそんなに低くないので、「だいたいの人ができることはおよそできる」と判断できる。 だが、困難さは事実として存在することから、「攻略条件を分解する」のである。 そうすると「なにができなければならない」「なにをしなければならない」「この状態を達成したとき、成功の期待値はこれくらいである」みたいな判断が利くようになる。そうすると、従来「できるかどうか」だったのが、「何を達成すれば成功すると考えられるか」になり、順次達成に近づけていくということができるようになった。

例えば、身体的なディスアドバンテージや、人生における価値観などを踏まえた上で、生き残るためには「起業するしかない」という判断をしたのもその方法による手順であり、条件を設定し、その条件を満たすという攻略を行ったのである。もちろん、次には起業するために必要な行動やスキルという形で、「起業」を攻略し、そして起業したらそれを成功させるための条件を模索して攻略するという手順を取った。

30歳-

下地としての努力を終え、実践的にトライアンドエラーを繰り返した。

私が心理的研究の過程で培ったデータは非常に広範に及び、人によって引き起こされるこの世界の因果のかなりの部分をカバーできる。 このように言うと、多くの場合真証明を期待され、「わかるなら結果を得られるはず」のように言われることが多いのだが、データで真証明するためには真理に至る必要があり、あまり現実的ではない。 「それは真実ではない」という偽証明のほうがずっと簡単であり、大部分は偽証明によって成り立つ。つまり、「これが正しいと言われているけれど、それは失敗する」というような証明であり、しかしそもそも心理モデルの研究はこのような事柄に応用することを想定しては いないので、その精度の確認のためにも、先人が正しいと主張することを全面的に取り入れるという方法を取り、そして偽証明ができているものは須らく誤りである(つまり、私の研究のほうが正しい)ということを確認するに至った。

かなり犠牲の大きい方法だが、失敗を予測できるのは大きい。 ただ、実践的に成功する方法を現時点に至るまで導き出せていないので、トライアンドエラーは続いている。

スキル戦略

基本的な戦略

スキルに限らないが、基本は「共通性が高く、コストが低いスキルを取る」である。

ベースとしてはコンピュータとエレクトーンがあるのだが、

と割と近いところをつなげてスキルを獲得している。

18歳までは「やりたいことだけをやる、興味あることだけをやる」という戦略で、関心のないこと、やりたくないことを避けることでリソースを集中させる」という戦略であったが、これは明確に失敗だった。自らできることを狭めてしまい、自分が絞っている道で失敗した場合のリカバリを無視したのは完全なる失策であり、かなりのダメージとなった。

その後、自分が得意としないことを含めて努力によって幅を広げようとしたが、結果的にはこれも十分ではなかった。 選択したものの努力の範疇で到達できる限界に到達してしまったのである。 単一の事柄だけ極めても、その事柄において到れる限界というのはかなり低い。それはわかりきっていることではあるのだが、そこまでの境地にたどり着くことはない、と考えていたのだ。 だが、実際には案外簡単に到達できるものであり、周辺技術は言うに及ばず、幅広い事柄に対する知見を持たなければそれ以上の成果は得られない。

18歳時点で積極的に苦手分野に対する挑戦を行っていたとして、この問題を生じなかったかというと疑問ではあるが、これは小学生時点から苦手分野を切り捨てるべきではなかったし、学業を(学校に行けないとしても)軽んずるべきではなかった、ということになる。

そのため、24歳以降はスキル獲得については「必要なもの」「威力の高いもの」を優先するようになった。

自営でやっていくためには商売に関する知識は必要であり、起業における通り一辺の知識に始まり、様々なリサーチや、意見の収集などを行った。 その後商工会での活動などを行った含め、自分にとっては吐き気がするほど嫌いであった商業活動に関するスキルを習得している。この中には会計税務に関する知識なども含まれる。

別に対人スキルがそれほど低かったわけではないのだが、対人スキルの高さはサバイバルにおいてとにかく役立つ。 そのため、立ち振舞いや交渉に関してはより実践的な強化を図った。 腹芸は嫌いだが、もともとできはしたので、そちらもさらなる強化を図った。 アレルギー反応はいかんともし難いので、それが問題になるシーンを避け、アレルギーが出たときには隠れる方法などを追求した。

さらには、もとはやられれば確実にやり返す主義だったが、これをクールに受け流して有効に振る舞う方法を研究し、強気な相手の心をより確実に折る方法なども強化した。

もともと研究者気質なので専門的なスキルは充実している方向にあったことから、「必要なもの、有効なもの」というとこういったものになる。 高い技術力とそれを表現できる対人スキル、そして営業スキルの組み合わせはどう考えても威力が高い。

コンピュータ系では仕様書を起こしたりするスキルも身に着けたが、これを「コンピュータのスキル」と呼ぶのは非常に抵抗がある。 どちらかといえばコンピュータのスキルで有用性優先で身につけたものというと、RDBMSとかだろう。私はRDBMSは嫌いで、基本的には使わないのだが、RDBMSに関する知識を持っていることは仕事の上では有利である可能性がある。

多才さも武器ではあるので、こちらは機材にある程度幅をもたせ、その手持ち機材で複数の分野のスキルを活用できるように工夫している。 その分機材の最適化ができず、単一分野で見れば機材のコストはかさむが、多面的に展開できるのは成功が約束されていない状態では手数の多さは重要になるからだ。

素質から考える戦略

「できることは最初からできる」というのが基本的特性であり、つまり初期値がかなり高いところからスタートする、ということがわかる。

一方で、初期段階で周囲を圧倒していた能力(例えば音楽演奏)であっても、伸びが非常に悪く、時間とともに追い抜かれてしまっている。

これは、ハッタリは効くが、単一で勝負できないことを意味している。できないことでもやればだいたいできるということが期待できる一方で、追い抜かれることは必定であり、あまり優位を誇っているとしっぺ返しをくらう。

特定の能力で生き抜くためには、それで一点突破できるだけの圧倒的な能力が必要であり、単一点で勝負できる要素がない。 性格的にも色々と興味がわいて手を出しやすく、一度手を出すとわりと深入りしてがっつりやるほうなので、いずれにせよ多面的に展開することが正しい。

この意味では当初から多面的なスキル展開をしていたわけで正しかったのだが、基礎能力、地力という意味では特化型を狙ったのは明らかな失敗であった。 最初から総合力を重視して多様な能力や知識を強化したほうが後々楽だったと言えるだろう。

一方、とにかく追い抜かれるというのは強い焦りであり、自分に強みがないように感じられた。 30歳を過ぎてから、ようやく「大きな成功が得られているわけでもないのに、様々なことを続けているということは他の人にはない強みである」ということに気づいたのだが、それは周りがリタイアするまで続けてはじめて証明できるものであり、それより前にそれを自らの強みであると認識する方法はなかっただろう。

結局は、何事にも真面目で真剣であり、はじめればそれなりの能力を発揮し、なおかつ深くやることができ、それを継続して積み重ねていけるというのが基本的な強みであり、戦略の柱であると考えられる。 これをなし得る最大のポイントは深慮であることだろう。何事であれ、自然ととことん突き詰めて思慮を深めようとする性質はあらゆる面で私を私たらしめる基本的要素であると言える。

転換点として大きいのは、「勉強が好き」ということだろう。

私はもともと「勉強は嫌い。研究は好き」という立場であり、これは親に勉強を強いられた上に、その成否によらず勉強を口実にした虐待が恒常的であったことと、極めて差別的かつ選民意識の強い言葉で勉強や就職を称える親への違和感もあり、「勉強をする」ということが悪の象徴と化していたのである。 これは、学校に対する反骨もある。本来的に私は反体制主義的で、理想主義者かつ完璧主義者であったから、浅識のままに真理を語りたがる教師が許せなかったのもあるし、私としては私の研究が偽だと主張する内容を真だと主張し、なおかつ私の主張に対して論理的説明をしない教師に教わるということは許容できないというのがあった。 さらには、単純に苦痛からの逃避という意味もある。

だが、実際のところ私は知識欲が深く、故に勉強そのものは好きだった。これを肯定できるようになるまでの道のりは長く、私の中でいくつもの意識の改革が必要であった。大いなる遠回りである。

その有効性

私はもともと気が長いほうではなく、割とインスタントに結果を求めるタイプであった。 反復が苦手なだけでなく、継続も苦手である。

つまり、長く「積み重ねる」という性質を持っておらず、努力の有効性という観点がなかった。

これを、「積み重ねこそが武器」という認識になるには自分のあり方を全面的に変えねばならなかった。妥協を覚え、現実主義に転じることさえもだ。

だが、スタイル的にも私にあっていて、結果的には着実に、安定して結果を出すタイプとなったことで随分と実戦的になった。 自分に対して持っていたイメージをまるで覆して自分の本質を見つけるのはとても重要なことだった。

性質・人格, 時系列

〜小学生 (v1)

とにかく臆病だが、神経質で攻撃的。

非常に臆病である理由には大いに虐待されていたことが関わっているが、実際のところそれは主因ではなく、完全に本質的に臆病なのである。

だが、臆病であることと気弱であることは関係なく、臆病だが攻撃されれば威嚇もなく相手を徹底的に破壊することを考えるという非常に攻撃性の高いタイプである。

平和主義的ではあるものの、侵略者に対しては絶対の破壊を以て応えるタイプで、総じて能力が高い以上、別に弱くもない。

能力的にもどちらかといえば「攻撃すること」「敗北しないこと」を重視しており、白兵戦能力も知識も意図としてはそちらに寄っている。 そもそも私を守る人というのは誰一人いなかったわけで、私としては害為す者は私が破壊しなければ生きていけないのである。

全体的には辛いことからは徹底して逃避する傾向が強い。 逃げられなくなれば撃破に走る。

中学生 (v2)

実は中学生になるにあたり、割と戦略的に「いじめ対策」を練っていた。

最大のポイントは「ひとりにならない」ことだ。 小学生のときのいじめは「vs全員」だったことを踏まえて、この構図を覆すことができれば状況を変えられると考えたわけだ。

だから、中学入学当日から積極的に声をかけて友人を作った。比較的早い時期に入った転校生にも一番に声をかけた。 文章能力が高く妄想に暮れていて演技力もある私は自分を演じるのが得意。だから接し方は簡単に作れる。

友人を作る作戦は非常にうまくいき、当初から小学校が同じだったメンバーはいじめようとしてきたが、友人がいることで反発も生まれるし、「私が一方的にいじめられる対象である」というふうに見えなければ周囲の反応は割れる。 そもそも私は攻撃的なタイプだから弱くもないし、言い返しもすれば殴り返しもする。この状況からでは「いじめられる環境」が出来上がらない。

ついでに言えば、教師に対して「否」を突きつけることも多い私はどう見ても「攻撃的なやべーやつ」なので、勢力が固まっていないのにいじめる構図が出来上がらない。

さらに、もうちょっと新しいキャラクターを塾で試していたりもした。 よりフランクで軽薄なキャラクターであり、より積極的に話しかけ、女子にも声をかけていく。

さらに、私の推測では、「ひとりでないこと」の重要性は、必ずしも強者につくことを意味しないと考えていた。 よって、塾ではややいじめ対象となりつつあった女子に声をかけ、割と頻繁に一緒に通ったりもした(偶然なのだが、一度噛み合った偶然は避けなければ続くものだ)。 もちろん、「あいつと一緒にきたのかよ」などと冷やかされることもあったが、そこで堂々と振る舞うことで私が強者として扱われることになる。

ちなみに、塾が一緒になった小学生当時女子側でいじめの中心的人物だった子には、積極的に話しかけたり、頼みごとをしたりした結果、仲良くというふうにはいかないにしても、用があれば普通に話せるくらいには関係改善を果たした。 これも、私の戦略の一部である。

総じて振る舞いに関しては、他者を「取るにとらないもの」と見下し、自分は強いと信じる(信じ込む)ことが核になっており、演技としても、立ち位置としてもそれを支柱とする。

これは、「毎日長時間に渡って自分の価値を否定させる」という虐待によって染み付いた自己否定感情との戦いという意味もあった。

なお、いじめが回避できた要因は、私の行動が全てではなく、中学校全体でより融和的な空気であったという前提があることは見逃せない。

そして中2の秋から、発熱が38℃を切らなくなってしまい、休学に至るが、これを気に親による洗脳からの脱出、自身の模索ということを始めるとともに、心理や行動に関して関心を持つようになり、またこの世界の真理にも関心を持ち様々なことを考えるようになった。 ギャルゲーをやるようになったのもこの時期以降で、非常に多岐に渡って追求するテーマを獲得し、自身のプライオリティは音楽に置いた。 つまり、非常に良い経過をたどりながら結論で 間違いのはじまりである

高校生〜 (v3)

そもそも私は高校はいかないつもりであったこともあり、高校においては明確なテーマがあった。 それが、「人を知る」ことであり、心理や行動に対する関心が主であった。

塾でテストしていたキャラクターの本格デビューとなり、コミュニティの中心的人物でありながら自身のコミュニティを持たない、という状況を作り上げた。

これは、複数コミュニティに入っていける状態にして、「いつの間にかいて、いつの間にかいなくなっている」という状態を形成する。 中立的状態を保っていることで、コミュニティ間抗争やコミュニティ内分裂時に重要な立ち位置となり、この結果教師に調停役として重宝される(実際はかなりきつかった)ことになる。

また、不登校生徒のフォローなどにも回ることもあり、結果的に2年から登場したスクールカウンセラーとは協力体制を敷く珍しい生徒となった。 3年になったときに「女たらし」という噂が出て一部1年生徒に目の敵にされたのは若干計算外ではあったが。

v2との大きな転換として、v2が「自分を強く」という意識であったのに対し、v3では「自分は人との調和の中でしか生きれない弱い存在である」という位置づけとし、より弱いほう、依存的なほうへと進んだことである。 これと恋愛重視の方向を重ねたことで、散々とんでもない目にあったが、失ったものがあまりにも大きいというのは認識した上で、やはり必要なことだった、といのが私の所感である。

v3の過程では逃げ癖の自覚と改善も図られた。 もともとは小4のときに「告白できなかった」ことに始まって行動力の改善、立ち向かう精神の構築というのはテーマにはなっていたのだが、v3中ずっと至らない部分として認識されていたことでもある。

25歳〜 (v4)

天気は2008年の皆既日食の日だったが、これは偶然であり、別に皆既日食そのものとは関係がない。 この目覚めによって皆既日食を見逃した、という程度だ。

(そして、これが記念すべきJournal de Akiのはじまりの日でもあった。)

v4におけるテーマは従来とは全く違い、 理想を行動規範に である。

あらゆることに対して思慮を深める、という私の性質上、大概のことに対しては「かくあるべし」という主張や信念がある。 これを、自分の行動及び判断の基準とし、「その状況においてもっとも正しいと自分の信念が定義する行いにつながる選択をする」ということにしたわけである。

従来は虐待のこともあり、私は自分に対する信頼感が微塵もなく、自分を頼ることがなかったのだが、従来の実績を信じて自分が正しいと信じるというところが出発点であった。 もちろん、間違う可能性もあるので、そこはデータと自分が作ったAI、そして自分の記録がその正誤を判断してくれる(そもそも私のAIはそのためにある)。

v4中は、とにかく「現実との折り合い」という面と、より実戦的な部分、さらに「自分の理想との距離」という問題と向き合うことがテーマとなった。

実際、理想とはかなり遠い。「わからない」ことに対して対応できないというのもあるが、それ以上に私の正しさが極めて「余裕に左右される」ということだ。 余裕があるときであれば、正しい理想に基づいて正しく行動ができるが、余裕を失うとまともな判断や振る舞いができなくなる。 結局、余裕がないときに盲目的になる傾向が改善されていないということ、そして「他者を信じる」傾向への依存が解消されていないことが問題なのである。

この段階においてやはり重要なのはみずきなのだが、みずきに対して余裕を判断失った結果ひどいことを繰り返したことを考えれば、実践できない己の未熟さは克服しなければならず、取り返しはつかないが、それでも道は長い。

信念, 方針

基本

座右の銘は「清廉潔白」「公明正大」「美学を保つ」。

要は「清く正しく美しく」である。

考え方の基本は「お天道様が見ている」に近く、何者でも良いが絶対の存在(あるいは自分自身)が今の自分を見たときに「良し」とできる生き方をすることが信念である。

特に「公正」や「尊重」は重要なキーワードであり、「人に厳しく、自分にはより厳しい」という考え方は昔から変わらない。

対人

全く異なる2様式である。

基本的な部分では境界性の非常に強いタイプであり、他者は他者、自分は自分で、自分の領域へは入れないし、相手の都合には依存しない。

キーワードは尊重であり、他者の信念や価値観が自分と異なる場合でもこれを肯定する、ということである。 これは、自分が誰かの信念を侵略しない、という「最も重要な規範」となっている。

確かこれを的確に説明した名言があったはずなのだが、どうしても見つからない…

これは別の側面から見れば、「他者を攻撃しない」ということである。だが、これでは一方的に侵害されることになってしまうため、「私を侵略・排除する者は例外である」としている。

なお、この様式はかなり新しく、v3まではどちらかといえば自分の正しさをあくまで主張する強硬派であった。

これは方針転換に大きな関係がある。

この尊重は、別の意味で言えば、突き放しである。 他者は他者であるから、私の預かり知るところではないというものだ。

以前の私の信念としては、いかなる場合であれ決して見捨てないというのがあり、他者のことを「他者のことだ」と切り捨てることなく、自身以上に親身になるという前提があった。故に私と関わる限り私が与えられる最善を本気で提供し、向き合うという方向性であったから、どうしても押し付けが発生してしまう。

これを突き放す冷たい方向性に振ったのが「尊重」であり、私からは何も求めないず、ただ少なくとも尊重はする、という姿勢ははっきり言って「冷たい」のだが、世の中的には「優しい」と解釈される場合が多い。

もうひとつの様式は、より密接で、より真剣な方向性である。 これは従来と変わっておらず、超高密度型。

私としては、「友人」と呼ぶにあたり

があることを前提としており、相手にも真摯に向き合うことを要求する。

いずにせよ、テーマは「愛」である。 自身がどう望むかによらず、相手にとって良いものを提供するのが私の役割だ、という考え方が底にある。相手を想い、考え、尊重し、大切にしようとする、というのは、私の対人における基本である。

また、特徴的な点として、“Flawless Fairness”(公明正大)がある。親しさや認知を、判定に一切反映しない、ということだ。 また、判定に私の感情や好みを反映しないという点も大きい。それをしてしまうと、私に対して公正ではない振る舞いになってしまうからだ。

分析や判定の精度は私のスキルとしても重要であるため、対人対話においては分析と判断を提供するのが基本的なスタンスである。 なぜならば、能力的に突出しているということは、それを提供することが相手にとって最も確実性の高い利益になるからだ。 だから、基本的な位置づけとしてはアドバイザ, カウンセラなのだが、特定の思想や道に誘導する性質を持たないので、(占い師のように)「こうしなさい」と言うことも無ければ、状況によらず良いと考えられるという意味で「こうするべき」といったことも言わない。 内容は相手に与えられた情報に大きく左右される。 ちなみに、「有効なアドバイスが可能であるとき、その状況において適切であることも優先する」というポリシーであり、積極的に空気は無視する方。有効なアドバイスが存在しない場合も、私のポリシーとして適切な振る舞いをするのであり、期待される振る舞いをするわけではない。

恋愛

恋愛に関しては、他の要素からすると突出して変わっている。

対人が現在では割とマイルドになったのとは裏腹に、「ふたりでひとつ」をテーマとし、完全に密な関係をベースにしている。

これを「束縛」と表するようでは既に話は終わっている。 ふたりであることをunitとして最善を追求することであるのに対し、単独であることの自由を主張するのは、「二人のことをほ考えることを拒否している=自分の利益だけを求めている」というであることから、相手に愛情はなく搾取志向であることが明らかであるためだ。

ただ、要求条件が厳しいことから、私自身として「交際を要求しない」という制約を課している。

私の特性的に問題が深いことから、どうしても相手側に「私のあり方に合わせる」ということを要求することになり、かなり難しい。

スタイルやウィークネス対策によって私と同様の制約がかかるという面が大きく、「合わせる能力はあるが、合わせるコストは高い」という性質もあって、私側に合わせないと私が戦力にならない。 しかも、総じて突き詰めてあるため、調整の余地が少ない。

理解と説明を省いてしまえば、「私のために生きろ、私に合わせろ」という話になってしまい、結構とんでもない。

ただ、実際にはその印象は大きく異なる。分析・判断の精度から基本的には私が決定を担い、またフロントエンドを担当することになる。だから、「前線に出る指揮官」のような存在なのであり、情報や意思は相手にゆだねている。支配箇所を考えると左右可能な余地は私より相手に大きいのだが、「すべてを思い通りにすることができない」とキレる人が多い。

相手が私に合わせる必要があり、なおかつ私をフロントに立てるため、私の功績を手柄にするという内助の功タイプである必要はあるのは事実であり、割と亭主関白だ。 が、それと実際の印象が大きく異なるのは、私が「超気にしぃ」であることと、「そうすべき、あるいはせざるをえない部分以外は全面的に譲る」という点が大きい。 それすらも気づかれない場合が多いが、私単独の利益が基準になっていないこともあり、主導権は実際には私にはない。「どうしたい?」と聞く機会がものすごく多いのが特徴的だ。

恋愛において問題なのは、依存度が極めて高い(“ふたりでひとつ”である以上、互いになくてはならないのが前提である。なお共依存ではなく相互依存である)ため、非常に余裕を奪われやすい。 そして、余裕を奪われた私は「ひどいものである」ということだ。なんとかしたいところだが、いかんともし難いのが現実。

仕事

「誰かに喜ばれることを。それ以上に誰かに意味のあることを」。

かなり細かくこだわりはあるが、仕事として不適切な要求を排除するという手順は存在しているものの、それもまた「サービス全体のダメージとなって他のお客様の損失になるから」であり、「個々ではなく総和的に笑顔のために働く」というのが基本的な考え方だ。

ここには、「自分だけが我慢すれば」ということは含まれない。 それだと「総和的笑顔」の条件を満たせなくなるからだ。

そして、和の極大を狙っているわけではなく、足元から少しずつ世界をよくしていこう、みたいな考え方。 ここらへんの話はMimir Yokohamaの話で結構色々しているので、略。

will

私は「人を人たらしめるのは思惟である」と考えている。

だから、考えることは大事だが、何よりも「意思」こそが大事だと考える。

意思こそが自然として不可能なことを成し遂げるための原動力であり、それはすべてを覆しうる。 これは何らかの野望に限らず、人と添い遂げるためにも確固たる意思が前提だと考えている。

もっと深く考えるに、“will”は人の根源たる部分であり、willこそが存在なのではないか。

この思想は、私自身の根源であり、信仰となっている。

特性, ウィークネスとの付き合い方

アレルギー問題

「有機物アレルギー」と呼んでいるが、特定条件下で強いアレルギー反応が出るという問題は基本的にどうしようもない。

「意識をしっかり持つ」というのが一番の基本であり、不意をつかれると危険なので、不意をつかれるような状況にならないことを心がけている。

また、できるだけ観測可能な状態が長くならないようにしている。 仕事であっても長時間同じ人と同じ空間にいると、消耗によって発作をきめて起こす可能性が高い。

人と食事を一緒にするのはリスクがとても高い。 よほどの理由がなければ避けるようにしているし、する場合はしっかり覚悟をきめてするようにしている。 また、人との距離が近いお店は極力避けるようにしている。牛丼屋などは混んでいるときは入らない。

この問題は生活様式、対人関係、さらには労働にまで重大な制約をもたらすが、受け入れるしかない。

潔癖症と抵抗力

衛生面でかなりの潔癖症だが、実際に一般に許容されるレベルの汚染で身体症状が出るということが大きい。

これは私の意識によって発生するわけではなく、そもそも私は「意識したら駄目」なだけでどちらかといえば「不衛生な状態を見逃す」ような不注意のほうがずっと多い。

そして、「帰ってきてから手を洗う前に触れたドアノブに触れて手がかぶれる」といった身体症状を起こすわけである。

基本的には手洗いを欠かさないというのが重要であり、こまめにシャワーを浴びるなどして清潔であるようにしている。 なるべく汚染状態は把握するようにして、洗浄や消毒をしっかりする。 消毒は基本的な薬剤を使い分けており、ウェットティッシュも4種類ほど使用している。

それでもうっかりしやすいほうなので、「かゆみが出たらすぐに対処する」が基本だ。

外出中もウェットティッシュを持つようにしている他、かゆみが出た場合などはトイレで手洗いをするようにしている。 手洗いに石鹸のないトイレは許せないと思っている。

また、頭部は特にかぶれやすいことから、シャンプーは洗浄力の高いものを使用している。 それに限らず、しっかりと洗浄しないとすぐかぶれるので、総じて石鹸類は洗浄力が高いものが優先。

リズムとムラ

私は非常にピーキーであり、「能力が高い」という事実を台無しにするくらいその発揮条件が狭い。

時間を通して見れば、能力を発揮する状態では圧倒的パフォーマンスを発揮する一方、能力を発揮できないときはいないほうがマシなレベルで役に立たない。

さらに、生活を維持する能力がなく、サイクルを保つことが できない 。これは、文字通りできない。

だから、定時に起きたり、定時になにかをしたり、毎日なにかを繰り返すということは、無理をすればある程度までならできなくはないものの、それをすると「常に全く能力をすれば発揮しないゴミ」が出来上がる。しかも、体を壊す。

そのため、条件側を発揮できる能力のトータルが高いように揃えるようにしている。 このためには、「私にとって有利な生活リズムと、能力を発揮できる生活様式である必要がある」のであり、特に労働に対する制約が非常に大きい。

労働においては、さらに「自分が能力を発揮できる条件だけを見せるようにする」という方式をとっている。 これは、私の自尊心のためではなく、それ以外の私は他者にとって極めて鬱陶しいし邪魔だからだ。それに、能力を発揮できる条件を満たすというのは、他の人が関わると非常に難しくなる。ものすごく細かく気を配らなければ、私は日々生きることすらできないのだ。

皮膚と肉

「皮膚が薄く、神経が細い」というのは、極めて多くのところで影響する。

一番大きいのは椅子で、非常に短時間座るだけで神経を圧迫してしまい、しびれる。 当然ながらしびれた状態でパフォーマンスを発揮できるはずもなく、それどころかこの状態、あんまり放っておくと障害になるらしい。

また、寝ている間にも自重で押されてしまい、しびれることになる。 これも大変つらい。寝るときはできるだけ継ぎ目のない服を着る必要がある。一時期はワンピースを着て寝ていた。

なんとかしたいのだが、椅子も寝具も金銭的事情もあって、効果が大きいことはわかっていても理想を叶えられていない。 それどころか、体重を軽量に保つことすらできていないのは大問題だ。

男女混合

身体的に男女混合であることは以外と厄介である。

一番大きいのは関節のつきかたの問題で、非常に関節を痛めやすい。

そのほか、細かいことで人が気にしなくてよいようなことをものすごく気にする必要がある。 「変な形で弱いところだらけ」の体をしているのだ。

基本的な対処は筋トレであり、弱い部分をカバーするようにバランスを考えて筋肉をつけている。

上半身が女性的で筋力が弱いということもあり、上半身のトレーニングが多いというのもある。実際はもっと細かいが。

外観的にも特徴があるため、それを隠すようにしていたりもするが、結構めんどくさい。 気づかれることもあるが、仕方がないだろう。生存に影響せず、優先順位が高くないため、十分にカバーできていないのが現実だ。

記憶

単純記憶がまともに効かない、という障害があり、小さい頃には相当悩まされた。

基本的には「状況を記憶するようにする」「記憶できる状況を構築する」というのが対処であり、それができない場合は「メモに書く」という方法で対処している。 だが、それを維持できない性質もあるため、結局のところうまく記憶する方法を見つけて記憶することで改善しているのが現実だ。

状況として記憶してしまえば普通の人よりもしっかり覚えていられるため、大人になるに従いあまり困らなくなった。

しかし、状況記憶も他の人と違い、「生保存」なので損失すると完全に失われてしまい、私の中では「なかったこと」になってしまう。 だから、可能な限り「データとして残す」というのが大事なことであり、常に心がけている。

集中, 注意力

集中が続かず、迂闊であるというADHD様の問題がある。

集中の問題に関しては、「集中力が切れたらそこまでにして切り替えていく」という方針で、あまり無理をしないようにしている。 生活を優先するなら無理してでも合わせたほうがいいが、そうする必要がなければ能力発揮の面では今集中できることに集中したほうがいいし、そのようにできる環境をつくるようにしている。

迂闊であるという問題は非常に対処しづらい。 書く、読むという方法で改善できるはずなのだが、迂闊なのでそれを忘れる。 とにかく忘れ物が多い。

何度もチェックすることで多少マシにしているが、やっぱりチェックから漏れる。 自力では現状が精一杯で、もっとしっかりしなくてはと思っている部分だ。

また、もうひとつ同根の問題として、ミスがすごく多い。 小さなミスも大きなミスもとにかく多い。そして、普通の人では考えにくいほど安定しない。

これに対しては、常に「ミスはするもの」という考えでいることで影響を小さくしている。 フェイルセーフに設計したり、安全機構を用意したり、リカバー策を用意したりということだ。

おかげで、「取り返しのつかないミス」というのはかなり稀に収まっている。 もちろん、対策していなければ取り返しのつかないミスをしまくる人である。

眠り

眠るのが苦手であり、小学生のときから「眠ると必ずひどい悪夢を見る」という症状が治らず寝ることが好きではない、というか怖い。 ある時期以降100%ではなくなったので多少はマシになったが、それでも確率は高く結構辛い。

布団に入ってから眠るまでに2時間はかかるというのがきつい。

以前は、「どうしても眠くなったら寝る」という方式をとっていたが、起業してからはそうはいかなくなった。

眠りに振り回されてきて、睡眠薬も効かない(というか、ただただ気持ち悪くなって吐く)ということに悩まされたが、最近ジフェンヒドラミンが効くということを発見し、最低限眠りを確保できるようになった。 だが、これはこれで翌日もぼーっとした状態を残してしまうので解決というわけではないが、何日も眠るに眠れないという問題は改善された。

また、2016年に死にかけたことをきっかけに、「睡眠不足で体力的に追い詰められると吐くほどの激しい咳が止まらなくなって眠るに眠れなくなる」という症状にも悩まされたが、こちらはブロンで一発で収まることを発見し、その状態に至ってしまったときには服用するようにしている。

眠り2

眠りはもうひとつ問題があり、「睡眠不足によるパフォーマンス低下が著しい」ということだ。

総じて悪条件下でのパフォーマンス低下は他者との相対で悪いのだが、睡眠に関しては本当にひどい。使い物にならないだけならまだしも、割ととんでもないことをするし、どんどん弱っていって深刻な状態になる。

眠れないにもかかわらず眠れないと影響が大きいというのは割と深刻な問題である。

それも解決については前述の通りだが、「なんとかして無理やりでも眠る」という意思はある。

抵抗力

免疫系が弱く非常に感染しやすい、というのもあるが、「感染から回復してから免疫系によって体を破壊される」というわけのわからない問題を抱えている。 細菌感染症でたんや咳が激しいのはわかるが、もう細菌はそんな残っていないだろうという状態になってからも一向に収まらない、とかそんな感じである。

このとき、血液に炎症反応もないのに、ずーっと症状だけ残る。無駄に辛い状態が長引くのである。 だから、ちょっとした風邪でも3週間くらいは辛い。

ステロイドが効くんじゃないか、と思っているのだが、当然ながらステロイドなんてそうそう処方されないわけで、検証もできておらず、「とにかく感染を予防する」ということくらいしかできていないのが現状である。

医者にいくべきかどうか(医者にいったほうがコスパが良いかどうか)の判断は相当に精度が出るようになっており、医者にいかなくてもだいたい自分の体の状態は原因・症状ともわかるようになってきた。

ちなみに、胃腸は特段に弱く、胃腸に関しては大したダメージがなくてもなぜか劇症化する。苦痛は凄まじく、脂汗を流しながら声も出せず動けず失神と覚醒を繰り返すとかそういうレベルである。 脂っこいものを食べただけでも結構なダメージになってしまうため、最近は自重している。ラーメンはしばらく食べていないな。

辛いときは無理しないようにはしているが、長引くのでずっと休んでいるわけにも行かず、難しいバランスとりになっている。

聴力

言語として聞き取る能力に乏しい、という障害だが、 音楽的にはアドバンテージになるため、私としてはマイナスに捉えていない。

ただ、会話に困ることがある。 相手の言葉を「文字起こしする」必要があり、反応がちょっと遅れるのだ。 また、相手が何をいったのかわからないこともある。「聞き逃す」に近いが、音を聞き逃しているわけではなく、意味を聞き逃している。 聞いてなかったみたいになってしまい、心苦しい。

これをフォローする方法は説明するのがかなり難しい。 言ってみれば、普通の人がハードウェア処理する言語認識をソフトウェア処理している感じなので、ソフトウェアのアルゴリズム改善で精度を上げているが、それでもハードウェア処理には勝てない、みたいな感じだ。

また、聴力の問題として、あまりにも耳が良いのでモスキートノイズは頭がくらっとしてしまうほどダメージがある。 なんであんなに大音量で連打するのか。そうしないと効果がないのか。 これはもう、逃げるしかない。

以前は寝てるときですらもずっと音楽を聴いていたが、最近は聴覚保護のため音楽はあまり聴かないようにしている。 また、聴覚過敏の傾向があるため、電車内では音楽を流さずに(あるいは少音量で流して)イヤフォンをしていたりする。

呼吸器

恐らく、呼吸器こそが私が短命となる原因である…はずなのだが、実は私には呼吸器疾患の経験がほとんどなく、軽い肺炎を患ったことがある程度だ。 あとは、鼻炎・咽喉炎とか。

つまり、呼吸器疾患というような深刻なやつは経験はない…のだが、一応タバコからは離れるようにしている。 一時期タバコを吸っていたこともあるけれども、「意味がない」ということも含めてすぐにやめた。

喉・鼻が荒れやすいというのは事実だが、これは「深刻な呼吸器疾患」とは全く関係がない。

どちらかといえば「有効酸素濃度が低い」ということのほうがずっと深刻で、このことは常時意識している。 今度酸素ボンベを試してみたいと思っている。ひょっとしたら視界が明滅するような状況を改善するかもしれない。

貧血

有効酸素濃度の低さも関係しているが、赤血球が少ないことが多く、貧血傾向が強い。

鉄分サプリを摂っているが改善度合いは大変微妙。 小さな出血でも貧血を起こしやすいので、出血には注意している。

また、倒れて迷惑をかけることも多いので、献血はしないようにしている。

低血糖

空腹時で58mg/dLあたりという低血糖っぷり。 ひどいときは51mg/dLくらいまで落ち込む。

頭の回転が早めであるためか、急激に血糖を消費することが多い。 だが、51mg/dLまで落ちても身体症状はあるものの昏倒したことはなく、不死身要素の一部になっている。

とはいえ、力が入らなくなって倒れたりするわけで、糖分補給には注意を払っている。 みずきが一緒にいたときには、みずきがいつも黒飴を持ち歩いていてくれていたが、私自身はそうした糖分補給手段は用意していない。私がやると、その存在を忘れて大変なことになるからだ。

低体温

起床時には32℃を切ることすらある超低体温。不死身要素のひとつ。

これが結局38℃を越える発熱になるのだから大変だ。 そして、寝ている間に下がるとも限らないのだからもっと大変だ。

だが、30過ぎてから低体温には悩まされなくなった。 そもそも、体温が低いからといって自覚的には特にこまったことはないので、何かしたこともない。

反復不可

繰り返しが苦手すぎてダメージが深いので、可能な限り繰り返しをさけるようにしている。

日常的に風の吹くままのような生き方を選んでいるのもそうだが、プログラミング技術も反復や面倒を避けるためという側面が大きい。

体の弱さ

体の弱さを説明するのはとてもむずかしい。

抵抗力という問題を抜きにしても、とにかく体が弱い。

例えば、160度開脚ができるほど柔軟性を上げても、じっくりじっくり体を慣らさないと一般的に体が固いとされる人よりも固い。 筋力を鍛えても、しっかりと条件を整えないとまるで筋力のない状態になる。 競技レベルで体を鍛えても、「軽めのウォームアップ」で疲弊してしまい、パフォーマンスがガタ落ちになる。

寝て起きてから能力の発揮できる状態になるまでウォームアップがしっかり必要になる、という問題と、あっという間にパフォーマンスが低下するというふたつの問題があり、単にパフォーマンスが低下するだけでなく、具体が悪くなったりする。

体力や精神力のいる状況で、単純な筋力などでは測れない耐久力のなさがあり、通しで見るとすごく体が弱いということになる。

基本的には消耗を避けられるように、回復策がとれるようになどの配慮が常に必要であることを意味するが、最近は急激に悪化し、今までは容易かったことがどんどんむずかしくなっていて、日常生活レベルでも消耗を気にする必要が出てきている。

体にかかえている問題であり、対策が追いついていない。

食べ物

好き嫌いも多いが、それ以上にアレルギーを含めて「体が受け付けない食べ物」がとても多い。

食事に伴う苦痛が大きいことから、食事は私にとってはウィークポイントであるといっていい。

基本的には無理をしない、食べたいか食べたくないか、何を食べたいか、どのタイミングで食べたいかなどを優先することで負担をしない、減らすのが基本的な考え方になっている。 どうしても食べるのが苦痛になってしまうと長く食べないこともあるが、幸いにも私は食べないことには割と強いのでそこまでの問題ではない。

精神状態に大きく左右されるが、これはいかんともしがたい。

気持ちの流れ

基本的には「思い立ったら即行動」タイプだが、それは「行動的な欲求に非常に抗い難い」という面がある。 「〇〇したい」と思ったらそうせずにはいらないということだ。

だが、単にそういう話ではなく、実際にあることをしたときに「そう思ったとき」でなければエクスペリエンスがとても悪い。つまりはイライラする。能率も悪い。 一方、「〇〇したい」と思ったときにすることでより大きな成果を挙げられてもいる。

このことを踏まえて、可能な限りその欲求に従うようにしているし、そうできるだけのゆとりを保つようにもしている。

効率の良いときにリソースをつぎ込むという考え方だ。

気が乗らないことをするときには相当な事故率を誇るため、やはり「気の乗らないことは避ける」というのが基本的な考え方。

まとめ・教訓

自分への理解は何より大事

何か判断するにしても、分析するにしても、自分のことを誰より正確にわかっている必要がある。

だから、自分を理解することはまず何より大事であり、それは直感によって支えられるものではない。 データの蓄積と記録である。

自身は内なるものであり、それを知るのは地道な蓄積だ。 自分探しの旅でどこかに行ったところで見つかるものではないのである。

得手不得手は基本の指標

人は得手とすることはコストが低く、不得手とすることはコストが高い。

同じことをすれば同じように辛い、と言われることが多いが、実際はそんなことは全くなく、同じことをしていても辛い人もいれば快適な人もいる。

基本的には行動をランクづけしていけばおおよそわかってくる。 指標はふたつで「どの程度つらいか」と「どの程度成果が出るか」である。

これは他者との相対であることを無視してはいけない。 負荷が重いものは負荷が軽いものに比べ辛くなりがちだが、他の人と比べれば辛くないのであれば得手と言える。

コストが少ないということはそもそも続けやすく、楽しみやすい。 また、同じ時間をかけたときにより多くの成果を得やすい。 どちらにせよ有利なわけで、強みになる。

ただ、嫌なことを避けるだけではいけない。 「なるべく不得手なことを回避しつつ、得手な要素を多く含むように身を立てる」という戦略が必要なのだ。

そして、特段の得手こそが才能だ。

若いうちはわからないこともある

継続に関するものや、大器晩成型だったりすると若いうちは判断がつかないこともある。

続けることは大事だが、駄目だったときのためにもひとつのことに頼りきるのはやめたほうが良い。

弱点は抑え込む

弱点を根性論や精神論でなんとかするのは人生の無駄遣いであり、パフォーマンスを損なうだけなのですべきではない。

道具やサービスなどを駆使し、可能な限り弱点が表出しないように組み立てるのが賢い。 目立ったウィークネスに対しては適切なものがわかっている場合はコストを惜しまないのが重要だ。限度をこすような場合はバランスも大事だけど、節約はそこではない。

また、椅子、ベッド、キーボードなどヒューマンデバイスは小さなステレスの蓄積は馬鹿にならないし、それで体を悪くしてしまうのはしょうもないので適切なものを選ぶことも大事。

もちろん、怪我や病気はこれほど馬鹿らしいものはないものであるため、体を大事にするのは大前提だ。

一貫性の大切さと宗旨変え

それがどのようなものであれ、一貫性を持つことはあらゆる意味で蓄積となり、生きる上で助けになる。

ただし、自分が間違っていることを認められることは大事で、そのときにはそれを明示した上で宗旨変えする勇気も必要。

人間、完全性に乏しい

人間の能力や特性は一貫しているわけではなく、ある程度の傾向はあるが、ほとんどの場合矛盾するものを含む異なるスキルや特性や適正を見せる。

その中から取捨選択してどの部分を活かすか考えることも大事。 背反するもののために活かせなくなっても仕方ないと割り切ることも必要。

本当の自分なんてなかなか多様なものである。

立ち位置と勝負どころ

位置づけと強みを明確にした上で、すっと自分の得手な条件が揃うポジションに収まるしたたかさは重要。

これで勝負するとき、「少ないほうを狙う」のと「多いほうを狙う」という真逆の戦略がある。

少ないほうを狙うのは成功すれば生存率が高く、大成功率も高いが、失敗する確率も高いややリスキーな道。独自の価値を追求する。

多い方を狙うのは失敗する確率は低いが、特別秀でていなければ十分な成功が得られない可能性もある。スターにはなりにくい。世間の価値観や空気を優先する。

努力は量ではない

努力の中にも「意味のない努力」もあり、「努力の有効性」が大事。

「努力で無為に時間を費やす」ということは普通にある。

蓄積には意味がある

たとえ無意味だと思うようなことでも、失敗だったことでも、蓄積そのものには意味がある。

それは「同様にすることで成功する」というような短絡的なものではなく、最短で辿って身につけた能力と、無駄な失敗を繰り返して身につけた能力は、一面的には同じだが、能力そのものが同じなら蓄積した強さというのは確実に存在する。

もっとも、人生は有限なので、無駄な蓄積をすべきだという意味にはならないが。

学校大事

学校というか、学校教育は内容的には非常によくできていて、そこで教える内容は漏らさず覚えておきたいものばかり。 だから、学校行くことはとても大事。

たとえ、教える人間の能力が低くても、学校という場所がどれほど唾棄すべきものだったとしても、知識に罪はなく、価値はそこに存在する。それらは別問題である。

wrote at 2019-10-09

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